アスペルガー症候群の父はこんな人

奇人変人

不適切な表現ですよね。

でも私は父をそう思っていました。


父が若い頃はまだ訪ねてくる友人もいて、みな父を「変わっているよね。」「面白い。」「ユニーク。」と言ってくれていました。


でも家族は大変でした。

私は物心ついた頃から暴力を振るわれていました。

乱暴な人で、寝ている私を起こす時は思いっきり蹴り上げるのです。
声をかけてくれれば起きるのに、無言で蹴飛ばされるので、幼い頃からおちおち寝てもいられませんでした。


数学に強く、英語や国語はからっきし理解出来ない人でした。
東京大学を中退しているのですが、入試で数学は95点以上取れたが、英語は2点だったそうです。
昭和30年代はそんな成績でも東京大学に入学できたのですね。


コンピューターの会社に勤めていましたがギャンブルが好きで、家にはほとんどお金を入れてくれませんでした。
母と祖母(母の母)はいつも金策に走っていたのを覚えています。


あとは
不潔な人でした。

お風呂に入らない。
歯も磨かない。
自分の鼻クソをマットレスの端から端まで付けて残している。


こんな人が父親で、正直辛かったです。

私が生まれたのは昭和47年で
その頃は発達障害アスペルガー症候群なんてことは知られていない時代です。

ただただ
本当に
変わった人だなぁ、と思っていました。




とにかく言葉が通じないのです。
話しかけると返事はするのですが、全く聞いていなかった様な対応なのです。

例えば「部屋の電気を消さないで。」と話しかけると「分かった。」と返事して、平然と電気を消すのです。
「ドアを開けて欲しい。」とお願いすると「ああ。」と返事をしながら、ドアを閉めるのです。

そんな些細なこと、と思うのは、それが点で捉えられるからです。
それが一緒にいる間、線の様にずっとずっと続きます。これが辛いのです。
このことが理解されないからカサンドラ症候群になる人があとを立たないのだと思います。

私の言葉には意味が無いんだ、私は取るに足らない存在なんだと幼いうちに思うようになってしまいました。

これでもう一度「開けて欲しいと言ったのだけど。」なんて言おうものなら「そんなこと言われていない!」と怒鳴られビンタされることもありました。


他の人とはコミュニケーションが取れるのに、父親とはどんなに努力しても心が通じませんでした。
理不尽な暴力は延々と続きました。
明確な理由も無く突然キレるので、いつも怯えて過ごさなければなりませんでした。


子供にとって愛情を求める相手である父親はコミュニケーションが全く取れない、明確な理由も無く殴ったり蹴ったりする。
そして母親は精神疾患になり、母親も私に暴力を振るう様になりました。


私が生まれた時には既に母は病んでいて精神安定剤を常用していました。
実は母の精神疾患は結婚前からなのですが、父の存在で更に悪化したのは想像に難くありません。


私の人生にとって両親の存在はネガティブな影を落としました。